昭和45年6月9日 夜の御理解

 吉井の森光つぁんが、御礼に出てまいりました。ちょうど一年前になる、息子さんの、自動車事故を起こしましてね、それが、(馬渡?)病院に入院しておられるという。たいしたことじゃないけれども、その、まあ退院ができないといったような状態で、大変難儀、いー、なことでございました。
 (先ほどの、けっ、結局?)あの、話し合いもなかなか、あー、スムーズにいかんでおりましたが、先日から、ちょっとこう、遊び、いー、人がかったような人に、向こう、頼まれて、もうそれこそけんか腰に、えー、500万円即金で出せといったような事で、もう、一家中もう震え上がってしまってですね、んー、昨日、一昨日でしたか、お願いにでてみえられました。
 それでね、お繰り合わせをお願いさせて頂いてから、あのー、そういう、言いはなさろうけれども、もういっぺん、こちらの実意を、あの、話して、そして、どうかと言うてもういっぺん話し合いをせろと、私に、言うとりましたから、昨日息子さんと二人で、おいでられた。もう二日も前に(?)だったから、もう向こうがその気ならこっちもいっちょ遊び人のごと友達から連れちこうちいうごたる勢いがあったそうですから、そげなんことじゃもっと(?)にならんよって、向こうが向こうじゃけんこっちがこっちっちいう、もうとにかくこっちが悪いのは、まち、間違いないのだから、息子連れて行く事はいいけれども、どこまでも(?)して、こんな実状だからこうだというて、あのー、ことわけて、、はな、もういっぺん話し合いにいったらどうかと言っております。
 そしたら、今朝から御礼に出てきましてですね、もう先生、もうとにかくもう、そのー、向こうの人も中にたっとる人も二人見るごと変わっちゃるそうです、今度行ったら。だからこちらから言う事もいらじゃったんです、今度は。そして、結局どういうことになるかというと、あの、それで保険がくる、それも来てからで良か、それもその範囲内でしてもらおうちゅうことになったそうです。ほんでもう、ほんと、知らごつのごたるですけれどもこげなおかげを頂きましたっち言って今朝から御礼に出てきましたがね。
 それから、あの、昨日、これは提案が、あー、来ました。(というものが?)、熊本から、あのー、(明智?)さんっち言って、それはー、四、五日前に、で、電話がかかってまいりました。何か特別ことの、事の起こったようにして、電話がかかってきました。それがそのー、んー、もう年の(?)さんですから、今がまだ二十歳、こ、なんですよね。それがあのー、どっか遠いとの田舎のほうへ就職して行っとります、高校卒業して。それが2、3日前はこんな風で、まあ、無事に、えー、おかげで、えー、上司からもかわいがられて、まあ、無事勤めができて、確か、手紙書くとき、やれやれ、向こうで反省しとったっち。そしたら、3日後に手紙が来とったんがですね、今度誰か、あの、結婚するけんどうぞよろしゅうっちゅって書いてきたげな。もうびっくりしてから、もう私は(?)も来んとに、嫁御、2、3日前は、その手紙がきとってから、もうちょいと、だからとにかくお父さん、早う合楽にお願いしてくれっち、言うて、もうちょっと、あの、外されませんから電話でお願いして、また明日、改めてお願いに来ますからち言うてからですね、もうそれこそでびっくりしておりますですたい。もう人が頼りにしてですね、あー、お父さんとよう知っとうとですき、それからー、そのあくる日が、すぐ、またー、お父さんがお願いに来ました。それからあのー、これ、昨日手紙が来ましたんですけれども、あー、時に私があのー、おー、とにかくね、子供がそうということは、とにかくあの、おー、仏の顔も三度というあの御理解をね、私はその、その方に(沿わして?)頂いたら、ともう、子供がどうこうじゃありません、親が本当、改まりができません、もうー、夫婦で改まらせてもらいますけん、今度のことだけはどげん考えたっちゃ、まあ、25になっとなってからち思いおるとですけんで、いっちょ、あら、あきらめますごとっち言ってから(言い換え?)られます。したら、もう(?)、あの手紙が来ておりますですかね、(?)、で、来とります。それー、その今日から御本部参拝をするそうです。あちらの、ね、(?)その上熊本教会のご信者さん、総代さんですからね、てこって本当の御礼に出てこにゃならんけれども、それこそまた手のひらをかやすように電話がかかってきてからですね、おかげでもう本当にあげな心配事を言うてやって、後からいろいろ考えてみたら、本当に親が(そうね?)心配しおろうと思うてですね、またあらためて、こげなん事はまた断念するっち言うてから、(言うちから?)(笑)もう手のひら返すように(?)になって、その、親に、ああ、安心するように言うてきたから、 それだけお電話して下さいとか(言わせなん?)ですけれども、もう本当に、その、何か、とっ、取って付けたように、笑い話の様にあるけれどもですね、あの、信心させて頂いておることが、もう幸、不幸のその別れ道がですね、たったそこからの、と、幸は幸、不幸は不幸になっていくんですからね。
 けれどもその、おー、その都度都度に御理解を頂いて、向こうがけんか腰ならこっちもけんか腰で行くけん、という事だったらそういう働きになってこなかったでしょうね、森光さんの場合でも。なら、今のこの明智さんの場合でもです、もうあのー、電話でお願いし、そして、またお願いに来て御理解を頂いて、本当に子供じゃありますまい、やっぱり夫婦の夫婦が本当にいっちょ改まらにゃと言うて帰らせて頂いたら、早速そげな、また安心のいくようなね、御礼のハガキがきとりますが、本当にその辺のところが、こ、心次第の微妙さっていうものをね、あの、その二つの方から感じますね。もう本当に微妙な事です。
 本気で一つ、神様に喜んでいただける、おかげの頂けれる心の使い方が、次から次とできるようなおかげを頂かにゃいけんと思うですね。